―本当の愛情とは子供の立場に立つこと
◆食事を作るにも愛情を持って
「毎日の食事には三十品目を与えなさい」にこだわりすぎないで、本当に愛しく思って、エネルギーを蓄えたものをもって、子どもさんと接触し、食事を作り、お掃除もし、というようにした方がいいですね。愛が大事だと思うんです。母親って今が大事なの。今してあげることは、今しかできない。食事でも、心を込めて作ってあげることが、その食事の中にエネルギーを宿すんです。親の思いの詰まった食事を子どもさんに食べてもらうのが、一番大切だと思います。
◆ 登校拒否の子供さんには、優しく心を解放してあげることです
娘さんの登校拒否は、なにか窮屈で、辛くて、たまらなくて学校に行けなくなったと思うんですよ。それはお母さんが原因でも、先生が原因でもないかもしれませんが、周囲のオーラというか、見る眼というか、そんなものを娘さんが感じられるんです。
だから、優しく、解放してあげることですよね、気を楽にさせてあげて、「無理して行かないでも、休んだらいいよ」と言うのも解放ですね。誰しも、エネルギーが欠乏すると、人を縛っていくんですよ。自分を締めて、人をも締め付けてしまう
◆受験生に対して
長男が大学の受験勉強をしていた時のことですが、私の場合、受験生にどう接するかというよりも、まず私が子どものことを心配しない境地に入ったんですね。子どものことにやきもきしないで、なるがままに任せて、「合格するか、しないか」にとらわれないようにしたんです。というのは、何もストレートで合格しなくても、人生って長いんだし、社会人になってから大学に戻ったり、合格した後も自分の望むところを受けなおしたりという例も知っておりました。だから、まず親が焦らないことだと思うんですね。本人にも、「受験、受験」と、あまり一点だけを見つめさせないことだと思います。とは言っても一点を見つめないと勉強も進まないから、とにかく心をおおらかにしてあげることしかないし、「たとえ浪人しても、お母さんもあなたに付き合うからね」というところから始まったんです。
◆親の思いを子供に押し付けない
親の立場から、「こうあってほしい」と思うのと、子どもの立場から「こんな風にしたい」と思うのとは違うでしょう。親の立場でなければわからないことがあるでしょうが、逆に、子どもでなければわからないこともあるでしょう。親が全くわかっていない世界を子どもは持っています。親も、子どもからは全くわからない世界を持っています。だから、そういうところで親の世界を子どもに押し付けて考えないほうがいいと思うんです。
失敗してもいいんだ。長い一生を通じて成功すればいいじゃないか、ということです。若い頃はとんとん拍子にうまく行っても、後で崩れる人も多いです。エネルギーは先に先に使わなくても、じっくりとためて、人生の一番大事な時に爆発させたらいいじゃないか。そんな悟りで子どもに接してきました。
◆親の後姿を見てもらって
私には、母親が割烹着姿で、かんてき(「七輪」のこと)でいわしを焼いたり、大阪で住みながらも田舎料理のようなものを作ったりしてくれていた思い出がすごく残っていて、お嫁に行って辛いことがあった時でも母の割烹着姿を思い出しては元気を取り戻していたんです。母親を思い出すことが、本当に多かったの。「私も子どもに思い出してもらって元気になってもらえるような母親になりたい」という気持ちは、若い頃からずっとありましたね。だから、着物を着て、割烹着姿で育てていました。後ろ姿を見てもらって、「親がいるんだ」と安心し、温かいものを感じてくれたらいいんだと思っていました。そういう娘時代から抱いてきた私の思いをダブらせて子どもを育てたいというのが私の願望でした。それで、子どもたちが「お母さんの後ろ姿を見て元気になった」と言ってくれるのを聞いて、「ああ、よかったなあ」と思いますね。
◆三人を分け隔てなく全て同じように育てて
私には、三人の子がいまして、ほとんど年子のようでして、ここに座っています長男が三歳の時に一番下の子が生まれたんです。三歳といえば幼稚園ではまだ年少さんですよね。そんな子に「あなたはお兄ちゃんだから我慢しなさい」とは言えませんでした。「それはあまりにも可愛そうだ」と思ったんですね。その時、子どもは三歳と二歳と零歳だったんですが、三人を分け隔てなく全て同じように育てていました。上か下かは全く関係なく、全てに当たって平等にしたんです。そんなに裕福な生活ではありませんでしたが、一人の子に与えるなら三人全部に同じように与えました。たとえばボールを買ってやるとしたら、三つ買うんですね。普通なら一つ買って「みんなで遊びなさい」と言うところでも、それぞれに買ってやったんですね。上が青で、真ん中が黄色、一番下の女の子がピンクという風に色を変えて三つ与えたんです。贅沢なことはできませんでしたけれどね。
それに、家で二階から下に降ろす時に、まず一番下の子を片手にポンと抱いて降りるんですよ。他の子には「待っててね」と言って。そしてまた上に上がって、今度は真ん中の子を両手で抱いて、そしてまた上に上がって、一番上の子を抱いて降りるんです。どんなに忙しい時でも。それは五分もかかりませんでした。忙しいという意識でその五分を省略してはいけないと思いました。何もかもがそうでした。どの子も本当に平等にするというのは、誰に教えてもらったわけではないんですが、やはり「区別したら子どもが可愛そうだ」と思いました。「上だ、下だと差別しないで、みんな平等に育てたいな」というのが子育てのいちばん最初の私の思いでしたね。
そうすることで、三人が非常に仲良くて、ほとんど喧嘩もしなかったんです。
◆上の子、下の子の区別はしないで
親の身勝手な思い方は全部子どもに伝わりますからね。絶対に子どもは正直です。言葉に出さなくても、「もう、この子は困ったものだ」と思いながら育てたら、それで子どもの心が歪んできますからね。上の子にも下の子にも、一人一人の子に大切なものを与えてあげるには、親側に責任があるんじゃないかな。私はみなさんが失敗されないような助言をさせてもらいたいので、よければこれから意識を切り替えて、子育てをされる気持ちをちょっと切り替えたらどうでしょう。だって可哀そうじゃないですか。一人しかいなかったとしたら、もっと上の子も可愛がってあげるでしょう。下の子だけを可愛がっていたらかえって下の子に困らされるということもあります。人生っていうものは、何かが偏っていたり間違っていたりすると、どうしても自然から教えられてくるんですよ。だから、みなさん、誰にでも言えることですけれど、自分が与えてもらった子どもだとしたら、成長するまでは、どの子も大事に育てさせていただく責任が親にあるんじゃないかな。
◆言葉が遅くても大丈夫
うち子の場合もなかなか言葉が出なかったですよ。お友達のお子さんの中には、非常に早く言葉が出た子がいました。とてもおしゃべりが上手で周りの大人を驚かせていました。うちの子は「あのね。ええーとね」となかなか言葉が出ないんですよ。「なぜかな」と思ったことがありましたけれど、「大人になってからもしゃべられないということはない」と思って、焦らずに長い目で見ていました。口の達者な子どもさんは普段から大人の中で育っていて、知恵がついているんですね。だから、言葉が早いのね。うちは子ども三人が団子になって遊んでいましたから、大人の言葉が必要なかったんでしょう。
「親から見て、子どもに文句をつけない。三人三様であっても、三人とも自分の子どもだから、親がそれぞれの子の成長を信じて待とう」それが私の鉄則でした。その子その子で気になることはあっても、いつまでもそのままじゃないです。必ず小学校に行くようになると変わります。
◆今の子どもさんだけを見るのは可哀想
今だけを見るから、気になるんですね。今の子どもさんだけを見るのは可哀想なんじゃないかな。だから、もっと待ってあげる。親の心が成長すると、お子さんの心も成長していくんですよ。気になるところだけを見ていたら、親の心は成長しませんよね、小さなところばかり見ていたらね。自分の子どもだけが気になるというのは、結局、自分が小さいんです。だから、親のほうがもっともっと大きくなって、待ってあげる心になった時には、子どもって勝手に大きくなっていくんです。そんな育つエネルギーを持っているんです。親の心配する心で、子どものエネルギーを抑えると、それが子どもの成長を阻害していることが多いですよ。だから、もっと気持ちを大きく、お母さん自身が高まっていってください。
とにかく、今だけを見ないでくださいね。本当に子どもは変わります。「なんてやんちゃなんだろう」というほど活発なお子さんが、何年か経つとすごくおとなしくなるということも多いです。ころっと変わります。だから、大切なのはその時その時の親の心ですね。