春名芙蓉の子育て支援

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質問:子供をどのように叱ったらいいんでしょう


 春名芙蓉先生が、「一度も子供を叱ったことがない、まして叩くなんていうことは考えられない」ということを話されると、「そんなお母さんがいるのか」という驚きの声や、「まさか」というお声も数多くありました。
 それに対して、「なぜ子供を叱る必要があるんですか」と答えられています。
 片や「叱るのが当然」という母親と、「叱る必要がない」という母親と、いったい何が違うのでしょうか。
 結局、これは子供の良し悪しの問題ではなく、叱らないとすまない気持ちになるかどうかの、親の問題ということになります。



◆親のエネルギー不足が問題
 大人の方たちを見ていると、自分が苦しいものだから、子どもにきつく言ってしまっているように思えます。
 親が苦しまぎれに子どもを叱っている感じですね。
 それは、親のエネルギー不足が原因です。
 そのような叱り方をするために子供の心が歪んでしまって、そんな子供を見てまた親が苦しまなくてはいけません。
 悪循環ですね。
 逆に、親のエネルギーが増えて、温かい心に変わってくると、子供さんの心も解放されて、思い方も、言う言葉も変わってくるんですよ。



◆子供をしかるよりも親がゆとりをもって
 親はよく、「早くしなさい、早くしなさい」と子どもを急き立てることがありますね。でもね、そんな時は自分が早くすればいいんじゃないかな。 まず親のほうががゆとりを持つようになると、変わってくるんですよ。ぎりぎりの線のところでしようとすると、どうしても自分の気持ちが急いてしまうので、子どもを急かしたくなりますよね。でも、子どもにせかせか言っても何もわからないです。「子どもにいろいろ言うと、かえって頭の中で動転してしまって、ないものまで出てくるというような悪循環にならないかなあ」と思うんですよ。私は、子どもがわめきながら出て行くのを聞くのが嫌なので、私自身がちゃんとその時間を計算して、順々に起こしたんです。そして、お弁当も作って、一人一人持って行かせて、「ああ、今日も無事に学校へ行ってくれた。ありがたいなあ」と感謝していました。



◆人間の感情が混じっての優しさは意味がない
 まず、「子どもさんに対して優しくするのがいいかどうか」という質問からですね。優しくするというのは、もちろんいいんです。いいんですが、わかっていただけるかどうかわかりませんが、「人間的に優しいのか、自然に照らされて本当に正しいといえる優しさか」ということが問題です。私も、そのことで悩んだことがあるんですよ。私は子どもを叱ったこともないし、「こうしなさい、ああしなさい」とうるさく指図したこともありませんでした。ただ見守っていただけなんです。「子どもが何かをする時には、それを見守ってあげる愛が私にあればいい」と思っていたんですね。だから、愛の度合いだと思うんです。
 自然のエネルギーが心に流れこんで、みなさんの中の魂が出た時には、次元が高くなるんです。そんな高い次元で思い、考えることは、これは大きなエネルギーによって、自然から教えられていることになるんです。でも、「言っても無理だから」とか、「優しくしてあげないと仕方がない」というような、どこかずれた気持ち、人間の感情が混じっての優しさだったら、これは正しい優しさではないんですよ。
 私が子どもを叱らなかったのは、今から思えば、自然から大きな愛をいただいて私の魂が出た結果のことだったと思います。私の魂が、子どもを叱るということができなかったんです。やっぱり、親の側から見て、親の感情で叱るというのは、子どもの側から見たら不公平だなと思ったんです。そう思えたんです。それは、自然から、思わせていただいたんです。自分の方針じゃなくて、自然から教えられたことだと思うんですね。「大きな愛を持って子どもに接してあげたい」、「困った時には命を張って助けてあげたい」、「でも、ある程度は自由にしてやりたい」と、私はそんな気持ちにしていただけましたね。
 子どものエネルギーというものは、大人が考えているような小さなものじゃなくて、もともと持っているエネルギーはものすごいものですよ。でも、大人が子どものエネルギーを小さく小さくして育てているんです。ということは、結局、大人が悪いんです。
 ただ、大人から子どもに教えてあげないといけないこともあります。だから、「優しくしてばかりではいけない」と思い、「これは教えてあげよう」と思うなら、子どもに言ってあげたらいいと思います。言う時のあなたの心が、本当に子どものことを思い、親側の打算や計算のない愛だけのものなら、それは自然から大きなエネルギーをいただいた本当の意味での優しさだと思います。そんな優しさで言うなら、そのエネルギーで、あなたの気持ちも子どもの心に正しく伝わります。
 ですから、「言ったほうがいいのか、悪いのか」とか、「優しいほうがいいのか、厳しいほうがいいのか」ではなくて、その時の「親の心の次元が大切だ」ということです。あなたが、そのあたりのことをわかっておられるかどうかです。



◆子どもを厳しく教育をするのは嫌だ
 子どもも大きくなってきて、いよいよ男親の出番だというので、主人が、男の子二人をスパルタ教育すると言い出したんです。その時は、私も主人と喧嘩をしましたね。「絶対にそれはだめ」と。「絶対にそれは嫌だ。子どもをそんな厳しく教育をするのは絶対に嫌だ」と。「絶対に」というものすごい勢いで反対して、私が勝ちましたよ。当時主人は私に反対されたことをとても残念がりましたが、何年もたってから「あの時反対してくれてよかった」と言ってくれましたよ。
 私は「厳しいだけではだめだ」と思ったんです。せっかく自分のもとに生まれてきてくれた子どもなんだから、大事に大事に育てたいという気持ちで一杯でした。親にすがって大きくなろうとする子を、どうして親の権限で押さえつけて育てないといけないのですか。
 私は子どもをべたべた可愛がることはなかったんですが、大切に育てるのが親の責任じゃないかという気持ちはとても強かったと思います。
 だから、この時だけは絶対に譲れないと思い、やめて欲しいと主人に言い切りました。一言言うと、十言主人から言われるんだけれど、これだけは守りたいと思いました。主人に口ごたえしたのはその時が初めてでしたね。