感謝があるときには意識の次元が高まっている |
本当の感謝があるときには必ず、意識の次元が高まっていると思いますよ。ただ、「何か嬉しいことを与えられて、それを喜ぶ」というだけでは弱いです。もっと奥を喜んでいただきたいんです。どう喜ぶかといえば、「みなさんの周りに自然のエネルギーが働いてくれていることを知って喜ぶ」ということです。「わけがわからなくても、何かしら嬉しくなってくる」ということは、みなさんにもあるでしょう。そういう時って、自然からエネルギーを与えていただいて、次元が高くなっているんですね。そういうことを知って、自然に向かって感謝するんですね。そんな感謝が積み重なると、大自然のエネルギーを無限にいただけるようになると思うんです。
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ワールドカップ大観衆の喜びが沸き立つほどの自然の応援を感じるんです |
人は、悲しみを広げるのは簡単にできるのに、喜びを膨らますのは難しいです。どんどんボールが坂を転がり落ちるように、重力がかかって落ちていってしまうと、なかなか上がることは難しい。下がるほうの引力が大きくて、上がるほうの力は人間には欠乏していますね。だからこそ、「一つからでも喜んでほしいな」と思います。たとえば、身体が悪かった人が、「少し良くなりました」と言ったとします。この「少し」という意識がいけないと思うんですね。少し上がるのと、少し下がるのとの差は大きいです。私は「少し」という言葉は嫌いなんです。「ああ、よかった。少しじゃない、すごいことなんだ」と思うわけです。「よかった、ありがたい」と意識を大きく広げられたら自分も嬉しいですし、喜ぶバイブレーション、高い周波数といいますか、そういうものが響いて、自分の周りに寄ってくるものが変わってきて、喜びがさらに大きく膨らむんですよ。感謝の心を持つと、自然が応援してくれて、すべてが変わってくるというのは間違いありません。ただ、その感じ方は、私はみなさんとは違います。「自然がにっこり微笑みかけてくれた」という程度じゃなくて、ワールドカップのサッカー場を埋める大観衆の、「ウワー」という声援や、「バンザーイ」という喜びが沸き立つほどの自然の応援を感じるんです。「にっこり」じゃなくて、地鳴りのするほどの自然の喜びと応援を感じて、それがまた自分を奮い立たせてくれる。そのバイブレーション、感動は、魂の震えです。「ちょっと」とか、「一歩」とかいう思い方では、感動、感激が弱くて、魂は眠ってしまいます。スケールが小さいんですね。
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気力、体力、霊力の三つが揃って |
やる気があるというのはすごいことですよ。気力、体力、霊力というのは、三つ揃わないといけないのよね。気力がなかったら、やれないでしょう。気力があっても、体力がなかったらできないでしょう。体力と、気力がそろっていても、自然からの力、働きがなかったらできない。だから、気力、体力、霊力。これを三つ揃えて、させてもらえることは並大抵のことではない。でも、みんな、その三つが揃って、させてもらっていることを知らないの。だから、体力があることにも感謝できていない、気力が出たことにも感謝できていない。そして、気力と体力を整えて後押ししようとする自然からの力というものがあることも知っていない。これは、やりだしたらわかるのね。なぜかというと、自分の力以上の結果が出てくるようになると、そこに働いている目に見えない力を感じるようになるの。だから、そんな霊力のあることがわかるの。気力、体力、霊力のどれ一つ欠けてもできない、ということばかり。
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人のせいにしていたら、絶対に自分は成長しません |
意識はヘアピンカーブのように、どうにでもひっくり返せるのね。今日までがどんな人生であっても、ひっくり返すことができます。ただ、「苦」だけは持たないように意識を切り替える練習をしてください。「苦」は「苦」を呼び、「不」は「不」を呼びます。だから絶対に、「不安」、「不満」といった「不」をもたない。そして、「人がこうだったから、私がこうなった」というように、人のせいにしないでほしいと思います。人のせいにしていたら、絶対に自分は成長しません。そして、「こういう事情だから、私がこうなったんだ」という、事情のせいにしてもいけません。そうなったことをもって、自分を見つめてくださいね。「そういう巡り合わせになるなら、そこに何かの教え、自然からの教えがあるんだ」と悟ったら早いですね。「ああだったから」、「こうだったから」と自分を弁護することは、それは結局遠回りになります。ですから、言い訳をせずに、「やっぱり自分に何かがあるからこうなる」と悟って反省し、意識を高めていくうちに、「結局これを与えていただいてよかった」という結果に必ずなりますから。早く実践するか、遅れて実践するかは、大きな違いです。回り道をしないで、「自然からの教えだ」と早く受け取って、素直に乗り越えていけたらいいですね。年を取ってから知るよりも、早く知った方が、その分マイナスを積み上げなくてすみますからね。
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もっと新たにエネルギーをいただきましょうという意識になったときに、前に進める |
人生には山もあれば谷もあって、いいことばかりではないですけれども、山や谷がなければ変化がないでしょう。刺激がなくてつまらないでしょう。やはり、上がるから下がります。でも、下がったら「また上がりたい」と思うでしょう。そういう変化、刺激というものを、「困ったことだ」と悪く思わないで、その刺激を生かして次に乗せていただくと、次のエネルギーが積み上がるんです。何か次のことをするには、次のエネルギーがなければできない。私もみなさんも一緒で、何かをしようとするときには、必ず次のエネルギーをいただきます。そのエネルギーが加わるから、また前に進めるわけです。普通なら「大変なことが起こった」とあわてるようなことでも、「これを乗り越えるのは今のエネルギーでは不足だから、もっと新たにエネルギーをいただきましょう」という意識になったときに、前に進めると思っているの。今日までそうやって乗り越えてきながら、まだ今でもそう思っているの。「まだまだエネルギーは必要だ」と思っています。
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人には暗くなること、嫌なことを言わない。また、人に嫌な感じを与えない |
みなさんが明るく光れば、会社も家庭も明るく変わっていって、周囲の人がまた明るくなって、明るくなるところからすべてが順調に進んでゆく、上昇してゆくんですね。だから、「みなさんに、どうしても明るく輝くようになってほしい」と思います。逆に、人には暗くなること、嫌なことを言わない。また、嫌なことを言わなくても、人に嫌な感じを与えない。いいものを与えたらその徳によって、いいものが返ってきます。自分にエネルギーがあればいいものをたくさん与えさせてもらえ、何も難しくなくいいものが増えていくんですよね。いいものを与えたら、いいものが返ってきます。このピンポンのようなやりとりで、いいオーラがやりとりされて周囲までがよくなるというようになっていただきたい。簡単です、これは。
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いただいた命を、ある限り光らせて生きたい |
私の人生というものが病気がちで、中学生くらいからずっと心臓病を持ち続けて生きてきたものですから、命というものに非常に敏感なんですね。いつ自分の命が絶えるかわからないというところを通ってきたことがありますからね。命があるなら光りたい。いただいた命を、ある限り光らせて生きたい。「人に対してどうするか」ではなくて、とにかく自分自身が光って、光って、光り続けたい。そして、光るためにはどうしたらいいか。それはやはり喜び、感謝することしかありません。何をもらったからありがたいと感謝するんじゃなくて、私は生きること、生かされていることに、感謝し続けたい。そのように人生を通じて、自ずと感謝が心の底からあふれてきたものがあるんですね。お花でも、水がなくなったら枯れてしまいます。そのように人間も、自然からのエネルギーをいただいて生かされている。だから、命のある限り、エネルギーをいただき続けて、光りたい。 |