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春名芙蓉先生が、ある会社のインタビューに対して、さまざまな角度から、食器を制作するきっかけになった心境を語られました。その内容を抜粋してご紹介します。
―質問者
最初はお話しいただきやすいところから、お伺いしたいと思います。六十歳のお誕生日に食器に絵を描きたいと思われたそうですが、絵を描くようになったきっかけはなんだったんですか。
―春名芙蓉
絵を最初に書き出したのは、六十歳ではないんですよ。もっと以前にきっかけがありましてね。子育てが終わった後空白になった時間を埋めるのに、絵でも描いてみようかなと思ったのがきっかけでしたね。「何か子供を育てたような気持ちで人様とお話ししたり、お役に立ったりするようなことができたらいいなあ」と思っていまして…。
六十歳の誕生日の手前で、「どんなことをしたらいいかなあ」とずいぶん考えました。それで、私は陶器が好きだったものですから、やはり陶器に絵をのせて広げたいなあと思い立ったんです。
子育ての時にも、子供にそんなにご馳走を食べさせることはできませんけれども、食器で何かごまかしていましたからね(笑い)
―質問者
いえいえ、「食器でより楽しく…」ですね。(笑い)
特別な食器を買ってこられたりしたんですか?
―春名芙蓉
食器はいろいろ選びましたよ。大きなもの、小さなもの、子供が喜ぶような食器をね。どちらかといえば色の付いたものでしたが、でも、色の付いたといっても、その頃あったのは淡い色でしたけれどね
―質問者
食卓が楽しくなるようなものを、いろいろと選ばれたんですね?
―春名芙蓉
そうなんですよ。三人が年子のような状態でしたから、あまりレストランなどには連れて行ってやれなくて。三人も連れていけば、みなさんにご迷惑をかけてますでしょう。だから、家でそういうような雰囲気を作ってやりたくてね。
―質問者
「地球の子守詩」という先生の本にも書かれてありましたが、カレーライスを出される時にも…。
―春名芙蓉
そうなんです。ある時カレーを作っている最中に急に思い立ちまして、梅田の阪急百貨店に買いに行きました、カレーのルーを入れる器を。一人一人にカレーを入れるための器があるでしょう?
子ども達がきっと喜ぶだろうなと思いましてね。私の住んでいました川西からでしたら、電車に乗ったら二十分ほどで梅田に行けますから。
カレーを作る途中だったんですが、思い立ったら火を止めて走ったわけです。そんなことをする馬鹿な親はいないでしょう、ハハハハ。(笑い)
―質問者
いえいえ。やはり、それはお子様が喜ばれる顔を見たいというお気持ちからだったんでしょう?
―春名芙蓉
そうなんです。私はたえず「どうしたら子ども達が喜んでくれるだろうか」と思いながら育てていましたからね。
―質問者
そういう子供さんへの思いがおありになって、みなさんが成長されても、芙蓉先生のお気持ちの中に、「何か人のために役に立ちたい」という気持ちが消えなかっというわけですか?
―春名芙蓉
そうです。子育てが終わって、ぽかっと穴が開いた気持ちをどう埋めようかなと。「私の余生は、みなさまと共に和気藹々と過ごしたい」と思えてきたんです。
私にも、その時までの人生で苦しい時代がありました。だから、こういう時にはこういう気持ちになるというのがわかります。今の年齢になれば、それまでに通ってきた人生でいろいろな喜怒哀楽を体験しておりますでしょう。嫁姑の問題とか、親子、夫婦、商売とか、いろいろな道中を通ってきておりますので、悩んでおられる方がおられたら、私自身の通り方というものを語ってあげたいと思ったんです。でも、口では言えないですから、食器を作って、それによってみなさんに安らいでいただきたい。食器なら、みなさんの家庭に行きわたります。そうしたら、「思いというものは必ず伝わるだろう」と、私は思ったんです。「一度、試してみたいな」と思って、陶磁器に絵をのせてみようと決心したんです。
それまでに絵を描く練習というものをしておりました。昭和六十三年頃からかな、そのころからやっておりました。実際に見て描くのは得手でしたが、想像画というものはだめだったんです。でも、見て描くというところから、だんだん見なくても頭の中に描いたものを描けるようになってきましたね。
誰かに教わったことはないんです。私は、なぜか教わるのは苦手なんです。(笑い)
―質問者
誰にも教わらずに絵を描かれたきっかけは何だったんですか、そばに道具があったとか?
―春名芙蓉
そうですね。そばにお花がいっぱいありました。(笑い)
―質問者
最初はどのような絵だったんですか?
―春名芙蓉
私が最初に描きましたのは、白の椿です。お手本を見て、水墨画的に白の椿を描いたんです。その時の白い椿には赤い線が入っておりまして、水墨画だけれど、すっと赤を入れて描いて、すーごくきれいに描けました。水墨画の描いてある本の中から気に入った絵を選んで、どんどん描くようになりました。シクラメンは、お花の部分に少しだけ色を入れました。それに、イチゴも赤をちょっと入れて…、というようなところから始まったんです。
―質問者
水墨画に少しずつ色を加えていかれたんですか? でも、今日、ここのギャラリ―で見せていただいておりましたが、展示されている作品は水墨画ではないですね。
―春名芙蓉
こういう画風の絵になったのは、ずいぶんたってからです。
―質問者
水墨画から始められて、色を塗り重ねているうちに、何かを発見されたというようにお伺いしましたが。
―春名芙蓉
そうなんですよ。だから、習ってない証拠でしょう。習っていたら、そんな無駄なことをしませんからね。
―質問者
紙のモロモロが出てきたということが、本にも書かれていましたが、どういうことなんでしょうか。色を塗っていらっしゃって、モロモロが出てきたんですか?
―春名芙蓉
ボ―ドじゃなくて、色紙(しきし)を使うんですが、水墨画というのは水を含ませますでしょう。ある時、絵を描いているうちに、水を含みすぎたかして、色紙の繊維がモロモロになって浮き出てきたんです。「あれー、どうしようかな。これはもうボツにしようかな」と思いましたが、「いや、一枚一枚、ボツにしていたら勿体無い」と思い返して、そのままずっと色を塗っていました。
そうすると、モロモロの上からも色を塗っていたら、それがだんだん固まってきたんです。水墨画用の絵の具を、筆の先にちょっと水を含ませるだけで塗っていましたら、水気がないので、表面が固まってきましてね。気がついたら、表面がつるんとエナメルのようになったんです。「あっ、この上に描いてみよう」と思いまして、エナメル状になったグリーンのバックの上に、「シロツメグサ」を描こうとしたんです。ところが、白と地のグリーンが混ざるじゃないですか。汚い色になったんですが、それでも、混ざっても混ざっても白を塗り続けたんですよ。
そうしたら、だんだん白がきちっとのってきたんです。そして、すごくいい絵が描けたんです。自分でも驚きましたね。そういう画法は、おそらく他にないのじゃないかなと思うんですが。
それから、自分の絵のスタイルが固まってきて、陶器に描いておりますポピーなどの原画を描く時は、一時間ほどかけて、白地の色紙に白の絵の具を塗ってしまうんです。その上にポピーの花を描くんです。そうするとポピーの赤い色が浮いてくるんですね。
―質問者
色紙の白地に、そのまま絵を描いてはだめなんですか?
―春名芙蓉
白地に絵の具をいくらつけても、きれいな色が出ないんです。
水墨画とか水彩画って、淡ーい感じの絵になりますよね。それもいいんですが、私の思うような色をきれいに出そうとすると、そういう風に下地を塗らないといけないんです。
そうして描き上げた絵を、岐阜の陶磁器メーカーに持ってゆきましてね。あの時は原画を六枚でしたか。どれも白の色を塗った上に描いたものです。パンジーもありましたね。
―質問者
絵を見られた方からは、どんな反響がありましたか?
―春名芙蓉
そうですね。
食器を作ろうと思い立つよりも以前のことですが、津山の鶴山ホテルというところで「芙蓉展」を開催しました。その時に一般のお客様に初めて見てもらいましたが、絵の前で泣かれていた方がありましてね。ぽろぽろと涙を流されていたんです。不思議な感じがしました。一人だけじゃなくて、何人も泣いておられたんですよ。泣いておられた方は、「なぜ涙が出るんでしょう?」と自分でも不思議がっておられました。
最初は、「どうして泣かれるんだろうか?」と、私もわからなかったんです。
その時は、「私の意識が伝わっている」ということまでは、わからなかったです。でも、「絵を通じて、何か私の思いが伝わったんじゃないか」という気がしまして、だんだんと、「私の描く時の気持ちが絵にのっていて、みなさんがご覧になった時に、それが見る人の心に伝わるんだ」ということが、はっきりとわかるようになりました。
絵には描く人の魂が移るんですね。だから、絵ではあるんですが、私の思いがのっているんです。
―質問者
ああー、そうなんですか。先生ご自身が持っておられる思いが、絵を通じてその方に伝わったということですね。
―春名芙蓉
でも、その時は私もわかっていなかったです。でも、陶器を作って、広がってきてからは、はっきりと理解できるようになりました。
買い求められた方から、「心が癒される」とか、「嫁姑が仲良くなった」とか、驚くような反響があったんですよ。「ご夫婦が冷たかったのが、この食器を使い出してから非常に和やかになられた」とか、「きついお姑さんが陶器を使い出して優しくなった」とか。
私が思った以上に、みなさまから返ってくる反響が大きくて、それで、私もびっくりしたんです。
でも、そんなことをこちらから言うことはできません。
スタッフの人たちには、「この食器はこうですよ」って、お客様には絶対に言おうとしないでねとお願いしました。「決して押し付けるような言い方をしないでね」、「売ろう売ろうと思わないでね」、「とにかく欲しいと思われた方に買っていただいたらいいんだから」というように。
やはり、お店に立っておりますと、お客様が来るとか、来ないということが気になりますでしょう。そんな気持ちがあれば、ただの商売になってしまいますから、私は「無理に勧めないでね。黙っていても、お客様の心に訴えることができたらいいんだから」とスタッフの人たちに頼んだんです。ただ、お客様からの反響があるなら聞かせて欲しいと。
―質問者
芙蓉先生が絵に込められている思いというのは、どんなものですか?
―春名芙蓉
そうですね。やはり、子供を育てた時の気持ち。いとおしい気持ちというんでしょうか。
子供だからどうこうじゃなくて、お花だからどうこうじゃなくて、人間だからどうこうでなくて。何でしょうね?
私の生きてきた人生の中で、すごく心が痛むことがあるんです。自分自身が、「辛い」というのじゃないですけれど、訳のわからない痛みを感じることがよくあるんですよ、人の不幸を聞いたりすると…。いい事を聞くなら、いいんですよ。でも、そうではないことが、世の中には多いじゃないですか。お気の毒な方のことを聞くと、私の心も痛むんですね。私が今日まで痛みを感じて生きてきたものと共通するんです。
そこを乗り越えた自分、何とか乗り越えさせていただけた。なぜ乗り越えられたかというのを振り返ってみたら、「ああ、私はこうして乗り越えてきたんだなあ」と思い出します。今の自分は本当に幸せだけれど、そうでない人たちもいっぱいいる。そういう人たちを癒してあげられないだろうか。でも、言葉では言うことはできない。だったら、言葉ではなくて、作品を通じて伝わるなら、その作品を広げてみようと思って…。
―質問者
ああ、そうなんですか。たとえば、そういう風に痛まれた心を癒すとか、明るくするとか、そういう風な思いでしょうかねえ? 安らぎといったらいいのでしょうか?
―春名芙蓉
辛く思わないで世の中を送れる、そんな思い方があります。同じことをしても、辛く思うか、それをいい気持ちに切り替えて元気に乗り越えるか。思い方をちょっと変えることで、違ってくるんです。私の人生を振り返ってみて、そんな風に切り替えて通ってきたなと思います。
―質問者
プラス思考に切り替えてということですか?
―春名芙蓉
その時は、プラス思考という言葉も知りませんでした。でも、なぜか切り替えて通り越えさせていただけたんですね。その時は勿論、「いいようにいいように、意識を切り替えよう」という思い方ではなかったんですが。私の場合は、忙しくて、その忙しさにまぎれて意識が変わってきたなって思います。
―質問者
なるほど。たとえばこの食器を買われた方が、見て、使って、心を癒されるということは、その方の意識が切り替わったということになってきますね。そういうことなんですよね、きっと。
―春名芙蓉
お客様の反響を聞きながら、反応を待ちながら、次々といろんなことをさせていただいてきました。写真も撮りましたし、絵も描きましたし、展示会をして、集いをして、そうしながら十年、十一年がたちました。
でも、本を出させていただいてから、変わりました。こんなに大きな反響が起こるとは思わなかったですね。
これは、私が書いた本じゃないです。私がお話したことを編集してくれて、本になったものです。私自身も読んでみて、「あっ、こんなことを言ってきたのかな?」と思うこともありますよ。でも、それに対する反応がすごくて…。本当に驚いています。
―質問者
どのような反響だったんですか?
―春名芙蓉
いろんな反響がいっぱいありますね。驚くほどの反響です。
たとえば、お嫁さんが本を買ってきて、ある日、「お母さんの部屋をお掃除しますから、私の部屋に移っていてくれませんか」と言った。掃除が終わった時に、お姑さんがぽろぽろ涙を流して、「本を読んだけれど、私の反省することがいっぱい書いてあった。今まで、お前にも辛く当たって悪かった」と手を取り合って和解したことがあった。そのお嫁さんが、泣きながらFUYO HARUNAのお店にやってきた。そんなことがありましたね。
他にもいろんな方が、それぞれいろんな人生を通っておられて、辛いこと、大変なことがあるわけですが、東京に住む八十四歳の方ですが、「私は、自分の人生を正しく通ってきました。でも、本を読んで反省しました。私は間違ったことはしてこなかったけれど、意識が間違っていました。自分は間違いないと思う気持ちが、間違いでした。それに、芙蓉先生のような感謝の気持ちもちっともありませんでした」とおっしゃっておられましたね。「本を読んで涙が流れて…」とか、「反省しました」といった反響はいっぱいありますね。
「本を読んで、自分は間違っていたことに気づきました」というお声は多いですね。「子育てが間違っていました」とか、「人を見る見方が間違っていました」とか。「考え方が間違っていました」というような、自分を振り返って反省されたお声が圧倒的に多いですね。
どうしてそこまで反省し、また感動していただけたのか…。私も「みなさんに安らいでいただきたい」とは今までも願っていました。でも、そういう反省の言葉が返ってくることに驚いたんです。本を読んで、そこまでご自身の人生を振り返っていただける、というのもありがたかったです。「ああ、お役に立てたんだなあ」と嬉しい思いがいっぱいですね。
―質問者
常に、「役に立ちたい」、「人を喜ばせたい」というお気持ちがおありになるんですね。
―春名芙蓉
そうなんですね。「子供に喜んで欲しい」というのと一緒なんですよ。
―質問者
そのお気持ちが、この作品につながっているんですね。
先生は、「もともと食器がお好きだった」と先ほどおっしゃっておられましたが、本当に食器というのは毎日使うものですよね。
―春名芙蓉
気に入ってさえいただけたら、どこの家庭にでも無理なく入っていきますからね。
女性って、食器がお好きな方が多いですね。美しい食器に触れると「欲しい」と思ってくださる。「同じ食器を作るなら、安らいでいただける食器を作らせていただきたいなあ」というのが、私の願いですね。
でも、本まで出版するとは、初めは思っていなかったんですが。
みなさんと語り合う「春名芙蓉との集い」をするようになりまして、多くの方々と実際に触れ合う機会が増えました。お話ししておりますと、参加された方が、生き生きなさってくるんです。最初は、固い顔をなさっている方もあります。怖い顔ではないんですが、それまで人生を歩んできた意識が、苦労された意識が、辛かった意識が、顔に出ておられるんですね。
私は、今までそういうお方と触れ合うということがほとんどなかったものですから、すごく怒っておられるように見えて、最初はとまどったことがあったんです。でも、二時間ほど触れ合う間に、どんどん明るい顔に変わられて、笑顔が出てこられて、「あれ、最初のあのお顔はどこにいったんだろう」と思うほどに変わられるんです。それもまた不思議だったんですよ。
―質問者
みなさんがそれほど変わられるというのは、なぜなんでしょう。先生が苦労をして乗り越えてきた経験が、言葉となって出され、それを聞いた方が癒されるということでしょうか?
―春名芙蓉
みなさん、どなたも苦労されています。そして、大なり小なり、悩みをもっておられる。でも、悩んでいるとも自覚しないで、毎日を暮らしておられる場合が多いものです。「春名芙蓉との集い」の中では、そういう悩みに触れていくこともあるんですね。「どんな悩みがありますか?」というような問いかけはしませんが、私自身が通った道中を語らせていただいているんですね。そうしますと、「あっ、私は反対の思い方をしていた」、「私の思い方は、間違っていたんだなあ」と心の中で思われるのじゃないかな? そして、ご自身を振り返りながら、癒されていかれるのじゃないかな?
これも、もう年々も続けてみて、私もわかってきました。二回、三回と続けて参加される方は、最初の頃とおっしゃることが全く違ってくるんですね。
講演会のようなものでもないのに、「二、三度来られただけで、あそこまで変わられるとは…」と、私も驚くほどです。それは大発見でした。やってみないとわかりません。やってみて、「ああ、良かった」と思いました。
私には、「人を変える」というような大それた気持ちはありません。ただ、「子供に接したような心で、多くの人と接してみたい」という気持ちでした。
子供は、やはり子供です。親の気持ちは伝わりやすいです。でも、大人の方で、自分よりも年配の方、若いお方といろいろ来られます。私も、「どなたにも通用する大きな愛を持ちたい」と思います。そんな愛を持っているなら、きっと受け取ってもらえるだろうと思っております。
―質問者
素晴らしいお考えですね。本の中には、「ただ作品を描いておられるだけではなくて、そこに信念をもって進めておられるものがある」というお話もありましたけれど、ポピーの色ひとつ出すにも、すごくこだわりをもってされたんですね。
―春名芙蓉
そうですね。ポピーはきれいな赤色で、赤というのはやはり見ただけでパッと人の心を明るくしてくれます。暗い色を見ると、暗くなりますよね。
私の住んでおりますここのお天気でもそうなんですよ。お天気が悪いと、本当に暗くて気持ちまでが暗くなるものがありますよね。今日みなさんがわざわざ遠いところをいらしてくださるなら、お天気であって欲しいと一番に思いました。こういう山奥ですので、せめて日差しが明るく、緑を照らしてくれている、それをご覧になって癒されて帰っていただきたいなあって、やっぱり一番に思いました。
インタビュ―の日取りをいつにしましょうかとたずねられて、「お天気のいい日にしてちょうだい」と言ったんですよ。
―質問者
そうですか。ありがとうございます。
―春名芙蓉
そのように、「明るい」ということが全てですね。私は、もともと明るい性格ではなかったんですよ。といって、じめじめした性格という意味ではなくて、若い頃は、大きな声でみなさんの前で笑ったりとか、お話ししたりとかができなかったんです。それに、「人が怖い」といいますか。そういう「怖がり」といいますか。どうしてこんなに明るくなったのかなあと言いますと、やっぱり多くの人と今日まで接してきて、明るい人を見ればこちらも明るくしていただいたんですよ。三十代の頃に、「自分は、こんな性格では人を明るくしてあげられない」と思ったことがあったんですよ。それなら、もっともっと自分の性格を変えていかないといけないと決意したことがありました。
どのように性格を変えていったか、自分でもわからないですが、ある日、母がやってきまして、「あなたはいつからそんなに変わったの?」と言ってくれました。母にそう言ってもらって、「ああ、自分は変えてもらっているんだ」と気づいたんです。
私のお友達に、底抜けに明るい人がいましてね。呉服店の時代、しょっちゅうお店に来て、遊んで帰ってくれる人でした。そんな人が、三人ほどいましてね。それまでの私の性格としては、どちらかといえば、合わないといいますか、ついていけない方たちでしたが、ご近所の方で、向こうからやってきてくれますし、離れられなくなりまして。そんな仲になって、知らない間にその三人の方の「いいところ取り」をしていたんです。(笑い)
―質問者
なるほど、そういうご経験がおありになって、明るい生き方、明るい気持ちでいると、やはり周囲の人たちも明るくしてあげられるという風に、ご自分を変えてこられたんですか。
食器をいろいろ見せていただきましても、パッと目に入る色が明るくて、素晴らしいですよね。
―春名芙蓉
中途半端ではないでしょう。「こういう色にしよう」とか、「こんな風に明るい作品にしよう」と思ったわけではないんですが、今は私も底抜けに明るくなって、その意識がそのまま色に出るんですね。
―質問者
思いがのっているんですね。「これでみなさんに明るくなって欲しい」という思いが…。
―春名芙蓉
そうです。思いがそのまま作品に表れるんです。
そういう意味では、昔の絵は違いますよ。見ていただいたらわかります。今のものはますます明るいです。そういう私自身の意識を変えることによって、今の絵とか写真が生み出されています。
といっても、絵とは違って、写真は、私の技術といったものは全くないんですよ。ただ感動したまま、シャッターを押すだけですから。
―質問者
我流というか、独学でされたんですよね。でも、素晴らしいですよね。
―春名芙蓉
全く我流でしたが、それも褒めていただいて、写真の前でも泣いていただいて、「あれっ、なぜだろう。絵でもないのに」と思ったんです。
―質問者
感性がおありになるからではないでしょうか。もともと絵とか、芸術的なものは、お好きだったんですか?
―春名芙蓉
好きとか嫌いとか言っている暇もなく、興味があるから勉強するという暇もなく、全く暇のない人生でした。
―質問者
六十歳で開花されたということなんですね。
―春名芙蓉
そうですね。でも自分の力で開花したというよりも、子どもたちから離れて、時間的に解放された時に、「何か別の力で方向を指示された」という感じでした。自分が考えたんじゃなくて、「こうしよう」とか、「こうしたらいい」というように思わされた、というのが正直な気持ちですね。
―質問者
指示があったというのは?
―春名芙蓉
「思えてくる」ということですね。朝目が覚めた時に「ああ、こうしたらいい」と思えてくることってありませんか? 何も思っていないのに、勝手に思えてくるというか。夜中にふと目が開いた時に、「あっ、そうだ」、「あっ、こうしよう」、「これだ、これだ」という指示、といえばおかしいですが、でも全く自分の意志がないのに、心の中でひらめくことってありませんか?
―質問者
ああ、私にもそんなことがありますね。
―春名芙蓉
私は、そういうものは、「教えていただいたな」と思うんです。
―質問者
それは、自然から教えられたということなんですね?
―春名芙蓉
そうなんです。私は、「このことは、自然から教えていただいたんだろうか?」、「自然はこう言ってくれているんだろうか?」と自問自答します。でも、方向を指示していただいたとはいっても、なかなかすぐには手が出せないこともありますよ。けれど、そんなことが何回か続くことがあるんです。心の中でひらめくというか、思えてくるということが、何度か重なってくるんですね。そんな時は、「やってみよう」と思って進んでいくと、必ずうまくいきましたね。
―質問者
そうですか。そんなことがあるからこそ、先生の作品を見た人が、何かを感じたりひらめいたりするきっかけになっているんでしょうね。先生の作品が、見る人に何かをひらめかせるということですね。先生の作品を見ているうちに、「人間関係を変えていこう」とか、「ギクシャクしていたあの人にも自分から声をかけていこう」とか、「仲良くしていかないといけないなあ」と思えるようになるわけですね。
それと、「見る人の心を明るくする」ということですが、素材にもボーンチャイナにこだわられておられますね。たとえば、このポピーの色はボーンチャイナでないといい色が出ないと思われたんですか?
―春名芙蓉
土ものでは出ないでしょう。グレイの土ものにポピーの赤をのせてもあわないですからね。
―質問者
思いをうまく伝えるためには、色や生地やさまざまな面で信念とこだわりをもってこられたということですね。
―春名芙蓉
そこまで強くはなかったけれど、伝わっていくにつれて、信念も強くなっていきました。それは、お客様から教えられ、お客様のほうから押し上げていただいた面もかなりありますね。いろんな方々の反響を聞きながら、私たちも自信を深めていきました。
私も最初は、どこまで伝わっているかがわからなかったです。でも、わからないままに、「このように推し進めて行こう、もっと多くの人に安らいでもらえるようにこうしよう」と思えたのも、今から振り返れば、やはり自然から指示されていたんだなと思うんです。
―質問者
六十歳の時に「陶器に絵をのせて広げていこう」と思われたひらめきですが、それが先生にとっての原点なんですね。そのひらめきというものは、今まで歩んでこられた人生の下地があるから起こってきたことではないでしょうか。その下地というのは、子育てであり、家庭生活であったわけですか?
―春名芙蓉
やっぱりね、潜在意識にありました。
呉服をしておりました時に、お店が人通りの多い場所にありましたから、「もし呉服でだめなら、おうどん屋さんでもしようかな。かわいい小物のお店をしたらどうかな」という気持ちもあったんですよ。
私は食事を作るのが好きなんですね。「おいしーいおうどんを、みんなに食べさせてあげたいなあ」と思ったこともあるんですよ。でも、それは夢に終わりましたが、「何かみなさんが喜ばれることをしたい」という願いは持ち続けていて、子ども達が大人になった時に、それまで心の中にあったものがむくむくと出てきました。
そして還暦という歳を迎える前に、「還暦なんて祝われるのは嫌だなあ」と思えてきました。「私はもっとしたいことがある」、「歳を寄せていくのは嫌だ」、「何かヘアピンカ―ブして新たなことに挑戦してみたい」という気持ちがむくむくと湧いてきて、一週間ほど、寝ても覚めてもそのことを考えていました。
そして、「そうだ、食器を作ろう」と思えてきたんですよ。
だから、それまでにあった幾つもの思いというか、夢というものが、その接点で一つになったんですよ。
ただ、思っただけで、成るか成らないかわかりませんでしたが、思い立ったまま、すぐさま岐阜へ飛んでゆきました。「還暦は、自分で新たな扉を開けたい」と思え、「思いだけでは前に進まないから自分自身が出て行こう」と、岐阜まで行ったわけです。
―質問者
先生は、何か思いを込めて自分の手で作り出したいと思われたわけですね。
―春名芙蓉
言葉がおかしいかもしれませんが、自然からこの道を与えていただいたと思います。自分が考えたとは思えないですね。
そして、食器を作るだけじゃなくて、何か人との交流ができればありがたい。
私は、以前は気が弱くて、人の中にも入れないような性格でしたから、今そうできるのがなおさら嬉しいんですよ。
―質問者
お客さまとの集いの中で、たくさんのお仲間が増えるのが嬉しいということですね。
少し話題を変えて、プレゼント、贈り物というものについてお伺いしたいと思いますが。「多くの反響が返ってきた」とおっしゃっていましたが、私がお伺いして感激しましたのが、小学生の子供さんがお母さんにプレゼントされた時のお話ですね。
―春名芙蓉
そうですね。私も嬉しくて、涙が出ましたね。
母の日にお母さんにプレゼントした子供さんが、「お母さんに喜んでもらうことを想像しただけで、僕も嬉しくなった」と言ったお話でしたね。そこに、「相手の方に喜んでもらえるというのが、自分自身の喜びになるんだ」と、私の思いと、子供さんのお母さんを思う心とが、食器をとおして通じ合ったことに驚きました。
他にもこんなお話があります。十歳くらいの小学生の男の子がお店にやってきて、棚に飾ってある陶器を見て、「このカップ、母の日までありますか?」と聞いたんですね。勇気を出して、お店に一人で入ってきたのでしょうね、スタッフも感動して、「ええ、ちゃんとありますよ。必ず置いておきますからね」と答えたら、にこっと笑って帰っていかれたそうですが、親の喜ぶ顔を想像しながら、自分自身が嬉しくなるというのは、素晴らしいことですよね。そんな子供さんから贈り物をされたお母様も本当に嬉しいでしょうね。
そういう交流が、親子だけではないんですね。ある百貨店でイベントをしている時に、少し年配の女性が二人来られて、「これかわいいから、息子のお嫁さん、きっと喜ぶだろうね」と、それぞれのお嫁さんに贈るプレゼントを、夢中で、楽しそうに選んでおられたというお話も伝わってきます。
私の作品には、そんな「プレゼントしてあげたい」、「喜んでもらいたい」と思っていただけるものがあるんですね。そういう相手の喜びを想像しながら、選んでいただいている。そんな様子を見た私たちも、なにか大きな感動、喜びをいただけます。
贈り物を受け取った方から、直接私たちに、お礼のお電話やお便りをいただくこともあります。「あまり嬉しいので電話しました」と、私たちにまでお礼を言ってこられるんです。それに、「こんないいものを私も母に贈りたいから、ぜひカタログを送ってください」とかですね。
―質問者
贈った方ではなくて、贈られた方からの反響もあるんですか?
―春名芙蓉
そうです。勿論、贈り物をした方が、「相手の方が、とても喜んでいただきました」って、私たちに言ってこられるのはしょっちゅうあるんですよ。
今の子供さんのお話などを聞いたりしますとね、私も涙が出ることがあります。そんな小さな子供さんまでに喜んでもらえている。「歳を越えて、私の気持ちが流れているんだなあ」と、嬉しくて。それが嬉しいというよりも、子供さんが親の心を思ってプレゼントの品を探しておられる姿が、いじらしくて、すごく嬉しいです。お嫁さんのものを選んでおられるお姑さんの話を聞いても、嬉しいですね。
お互いを思いあっている心が交流しあって、そこに私の作品が流れて、喜びを膨らませていただいていると思えば、自分がそんな作品を作ったというより、そんなお仕事をさせていただけていることが、本当にありがたいです。自然がそう教え、指示してくださったものなら、そんな自然に感謝したいなあって思う気持ちがありますね。
私には何の計算もなかったですからね。だから、不思議な糸のようなものを感じます。私の気持ちを受け取って、そのように運んでくださる目に見えない力というものを感じるんです。
「私はこうしました」と誇るような気持ちは、決してありません。それよりも、全部自然から運んでいただいたことばかりです。「こうして欲しい」、「こうあって欲しい」という欲はなくて、今日まで勝手に運んでいただいた数々は、私たちが願った以上のものがあります。私はただただ、感謝するだけの気持ちです。
―質問者
現代人は、そんな「思い」というものを忘れていますよね。贈る側の喜び、贈られた側に喜び、そんな素晴らしいものを忘れてしまっていて、ともすれば贈ってしまえばそれでいいというか、儀礼的なものになってしまっています。先生のお話をお伺いしていて、「そうじゃないんだ」と思いました。
―春名芙蓉
私もずっと長い間、お礼の品を贈ってきたことがありましたが、やはり贈る「先様」の喜びを感じて選んできました。相手の方の気持ちばかりを考えて選びました。だから、毎年同じものを贈るというやり方はしませんでした。勿論相手の方からお返しが来るとか、来ないとかに関係なく、その時その時の心を大切にしました。自分の真心を大切にしたということですね。
―質問者
見返りを期待しないということですね。
―春名芙蓉
それはもう当然です。
―質問者
相手の方のことを思って、毎年同じものを贈るのではなくて、この季節だからこんなものをとか、体が弱っておられるから今度はこんなものをとか…。
―春名芙蓉
そうそう。見て楽しんでいただく。開けたとたんに必ず喜んでいただけるもの。
―質問者
子育てではないですけれど、「相手の方に喜んでいただくことが、自分自身の喜び」ということですね。「贈りものをすることが、嬉しい」ということですね。
―春名芙蓉
そうなんです。お世話になった方にお贈りする、というのも、ずいぶん長かったです。子供が卒業しました後でも、贈り物は途切れなかったです。小学校を卒業したら終わりとか、中学校を卒業したら終わりということはなかったですね。
―質問者
そういう意味で、お付き合いを大切にされ、いいご関係をつなげていらっしゃること自体も、先生にとって嬉しいことだったんでしょうね。
―春名芙蓉
そうですね。普段はなかなかお付き合いはできませんが、「せめてその時くらいは…」と思う気持ちがずっとありました。
―質問者
いまどんどん世の中が変わってきまして、「贈るということをもう止めましょう」という意見も出てきていますよね。それに、団地やマンションに住んでいますと、人と人とのつながりが希薄になってきています。
その中で、もう一度今まで日本にあった風習を見直すとか、そういう気持ち、心のつながりを見直すことは非常に大切だと思うんですが。
―春名芙蓉
お義理とか、お決まりでするなら、必要ないと思いますが、やはり、「是非にしたい」と思われるなら続けていったらいいんじゃないですか。本当の心の触れ合いは、そういう決まりで進められるものではないですから。私は、儀礼的なものではなくて、「お中元、お歳暮というものではないのですが…」という気持ちでお付き合いを続けているんです。
―質問者
先生は、お花の色にこだわっておられたということですが、食器の形状についてはいかがでしょうか?
―春名芙蓉
形の面ですか?
そうですね。やはりいろいろな形のものがあるほうがいいでしょうね。そして、ありきたりではないほうがいいです。カップでも、もち手をねじっているのがありますが、いい形状ですね。
ただ、こちらが作りたいと思っても、メーカーでできない場合もあります。メーカーで揃うサンプルは、真っ白な生地のままなんですね。それが、私の絵がのると全く変わってしまうんです。こんないい食器だったのかと驚くほど、絵をのせると変わりますよ。私は、それがまた楽しみなんです。
それに、絵ののせ方も大切ですね。最初は失敗もありました。お皿などの場合、真ん中に絵をのせると、食事を盛り付けると絵が見えなくなりますから、周囲にのせるように変えたり、小花柄にしたり、いろいろ工夫をしています。カップの場合、ストレ―トな形ならいいですが、下のほうがすぼんでいると難しいんですよ。転写紙を貼り付けるにも、下のほうにしわが寄りますでしょう。そんな場合も考慮して、原画の描き方も工夫をしたこともあります。
―質問者
それに、子供さんでも求めやすいように、値段的にもいろいろバリエ―ションを作っておられますね。いろいろ取り揃えて、思いが伝わりやすいように、求めていただく機会も多くなるように工夫されていますね。
―春名芙蓉
勿論お高いものばかりでは求めにくいですからね。だから、お値段の幅というものもどうしてもいりますよね。小さな子供さんも含めて、気軽な、ちょっとしたプレゼントというものも多いです。何かの機会を見つけては、贈ることを楽しんでおられる方もあります。そういう方に求めやすいものもたくさん作っています。
買い求められた方が、「このカップを見たとたん、『あの人に贈ってあげたらきっと驚くだろうな』と思ったんですよ」とおっしゃる方や、「私、素敵なものを見つけたわよと自慢したいから、友達にプレゼントしました」という方もおられます。私の作品を見ると、誰かに贈りたくなるというのは、ありがたいことですね。
―質問者
先ほどからお話をお伺いしておりまして、食器というとらえ方ではなく、やはり芸術的な作品であるというところがあって、絵を見て心が和むという点が、素晴らしさのポイントですね。そこが、「こだわりの逸品」ということになりますね。
―春名芙蓉
食器を贈るというのではなくて、思いを贈るということですね。食器なんですけれど、いただかれた方は食器とは思われない。化粧箱を開けたとたん、「ワァー」という感じです。何かすごいものが届いたというような感じです。
たとえば、病気の方に贈られたら元気になられた、ということもよく耳にしますね。それは嬉しいですね。やはり見ていただいて意識が変わるということでしょうね。明るいものをいただいて、ハッと気持ちが変わって、眠っている細胞が生き生きとしてくるという風に、元気になられるんじゃないかなと思います。
たとえば芸術作品といっても、五千円の絵とか写真や絵葉書などをいただくのと、同じ五千円でも美しい絵ののった食器をいただくのと、どちらがいいかと思えば、やはり食器のほうがいいのじゃないかな。絵そのものをいただくよりも、絵ののった食器のほうが魅力的ですよね。ただ眺めるだけじゃなくて、使いながら楽しめますから。
―質問者
確かにそうですね。本当に楽しめますからね、
―春名芙蓉
そうですね。ずいぶん楽しんで、時間をかけて選ばれます。選ぶのに悩んでおられるんではなくて、楽しんでおられるんです。「ずいぶん長い時間、楽しみながら選んでいただきました」という報告が、各店からよく入ってきています。歓声をあげて見ていただく方が多いですね。「あれもいい、これも素敵」って。「ああ、かわいい」ってね。
―質問者
私たちは「贈る喜び」というものを忘れてしまっているところがあります、忙しい毎日で。楽しんで選ぶというのもいいことですね。
―春名芙蓉
やはりお忙しいんでしょうね、みなさん。
―質問者
先生の作品は、贈り主の思いが伝わりやすいですね。そして、作者の先生の思いと重なって、相乗効果で相手に伝わって、非常に喜んでいただいたり、お元気になられたりと、つながっていきますね。
それに、今日本人が日本的な心を忘れているような気がするんですが、先生の描かれたつゆ草の絵なんか、特に日本的な感じがいたします。欧米の作品には出てこないですよね。そういう野に咲いている可憐な花に目を向けられるのは、日本人の心に訴えかけるものがあります。
今日もお着物でインタビュ―に応じていただいておりますね。それも、先生の心だと思います。
―春名芙蓉
今日は、なぜかこの絣の着物を着たくなりましてね。久しぶりなんですよ。もう十何年振りですかね。
このごろはほとんど洋服なんですよ。大阪のほうによく出ますから。
でも、車の免許を取るまで、六十歳までは、ずっと着物でしたね。
私が洋服を着て歩くようになってから、娘がびっくりしましてね。「お母さんって、こんなに早く歩く人だったか!」って。それまで、着物で楚々と歩いていましたから、いつも待ってもらわないといけなかったからね。着物では大股では歩けませんものね。でも、洋服を着たとたん、ダダダダと歩き出して。(笑い)
私は陸上の選手だったんです。走るだけでなく、高飛びもしていました。スポ―ツは好きだったんですよ。
―質問者
それを着物のうちに秘めていらっしゃったのでしょうね。それが六十になって、解放されたんですね。
―春名芙蓉
それは、呉服屋をしていましたからね。主人を助けないといけませんから。
―質問者
普通の主婦であり、子育てもされてきた経験から出るものだからこそ、みなさんからの共感が大きいんでしょうね。デザイナーとしてずっとやってきた人ではなくて、家庭から上がってこられたから、食器がどのように食卓を飾るか、どうしたらより楽しくなるかを想像しながら、制作されておられるんじゃないでしょうか?
―春名芙蓉
そうですね。それに、食卓の上だけでなく、食器棚にずらっと並んだ様子も想像しますね。
そういう「思い」を大切にして欲しいので、百貨店でもあちこちでイベントをさせていただいてきましたが、ただ「売る」ということだけを重視されているところはお断りしていました。ビジネスだけで見られるのは、ちょっと苦しいですね。
インターネットでも販売をしておりますが、スタッフの人たちは、ラッピング、梱包というものにも非常に心配りをしてくれています。ピンクの薄紙を使ったり、かわいいリボンを使ったりと細かく気配りをしておりますので、お客様の喜ばれ方、反響が非常に大きいですね。でも、その喜びを聞いて、スタッフも喜んでいます。ずいぶん大変な作業で、苦労もしてくれているんですけれど、それだけに喜びも大きいですね。
―質問者
ひと手間多いというか。でも、そのひと手間をかけることによって、お客様の喜びかたも違いますね。
―春名芙蓉
ひと手間も、ふた手間もかけていますね。
一般的には、「そんな夢のような、理想を追いかけたやり方をして、こんなに世知辛い世の中を渡っていけるか」というような考えの方が多いですから、私もこんなお話は言わないんです。というか、言えないんです。そう言っても、反論されるのがわかるから、それを聞くのが辛いです。悲しいんです。
だから、「私たちは、かりに他の人と違っていても、できる限りのことをしていこう」という、そんな気持ちでずっときましたから、大変な面もありました。でも、必ずそんな思いは伝わるんだという気持ちでまた元気を取り戻して、今日まで進めてきましたね。
私たちは目先の利益だけを追いかけず、お客様に買っていただけるかどうかとか、これが売れるかどうかということだけにとらわれずに、本当に私たちが願う世界を広げたいと思ってきました。それを積み上げていって、それが信頼となって、買い求められた方に喜ばれ、贈られた先の方にも喜ばれ、また、お母様、お嬢様、お孫さんと、代々喜んでいただけるような、そういう絆をもっともっと作っていきたいですね。
だからこそ、本当に心を届けるものとして、お客様の大事な心をのせるものとして、FUYO HARUNAの作品を認識していただけると思います。
遠回りのようだけれど、こつこつと信頼をいただけるようなやりとりを忘れてはいけません。スタッフも、毎日たくさんの発送をしてくれていますが、お客様にとっては、一つ一つが大事な贈り物であるわけです。だから、そんなお客様の気持ちを受け取って、ただの販売商品というような思い方はしていません。それに、一つ一つが思いのこもった作品だと思っています。だから、作者の思い、贈り手のお客様の思い、そしてその上に、スタッフも思いを重ねてそれを発送する。だから、商品ではなくて、贈る方、贈られる方、そして発送に携わるスタッフ、それぞれの方たちの思いという価値が加わった作品と思って大切に扱っています。だからこそ、その価値が贈られた方の喜びに変わってゆくんじゃないでしょうか。
笑顔がなく販売することもできるし、笑顔をもって嬉しい気持ちを伝えながらの販売もできます。それを大切にしながら進めていくことが、私たちの望むところに確実にたどり着ける方法です。そういう信念を持って、やってもらっています。
―質問者
今の時代というものが、少しずつそういう心を大切にする時代に近づいてきているように思いますね。「心の時代」と言われて久しいですが、戦後、日本は欧米化しましたが、近代化を急ぐあまりにそこで見失ったものを、今気づき始めている。物とか、合理主義ではなく、やはり「ひと手間かけて、心をのせることによって伝わるものが大切なのだ」と、だんだん気がついてきているように思いますね。
だから、芙蓉先生の集いに何人も来られて、心の触れ合いを求めておられるんでしょうね。
―春名芙蓉
行きつくところまで行ったんじゃないですか。こうしてもだめ、ああしてもだめと突き当たりながら、結局は、心が癒されたいという気持ちになっておられる方が多いんじゃないですか。
―質問者
今、さまざまな犯罪を見ても、大変な時代になってきているように見受けられますが、なおさら「もっと心が大切だ」と思われるようになってきているのでしょうね。
ただ、「心が大切だ」とはわかっても、「それじゃあ、どんな心が必要なのか。どんな思い方をすればいいのかがわからない」という人ばかりじゃないですか。そんな疑問をもっている方たちが芙蓉先生の集いにやってきて、「ああ、そういう思い方なのか」と気づかれるんでしょうね。芙蓉先生が難しいことをおっしゃらずに、「みなさん、本当は幸せなんだから、もっと喜んだらいいですよ」とおっしゃった時に、「そうか、喜んだらいいのか。それならできる」と思われる。自分が喜べたら、周囲の人たちをも喜ばせてあげたくなる。そんな喜ぶことなら簡単なことだ、と。
―春名芙蓉
簡単なんですけれどね。みなさん、なかなか喜べないのは、どうしてでしょう。悪く思うほうが難しいですよねー。苦しいですしねー。いいようにいいように思って、喜んでいたら、全てが変わるんですからねー。
今日、あるお店からの報告書に、ある婦警さんがおられて、その方からの本の反響が入っておりましてね。地球の子守詩の本を読まれて、「不良少年、少女のお母さんにこの本を読ませたい」とおっしゃっていたと書いてありました。「ぜひ今度は、私も先生の集いに参加したい」とね。そうおっしゃっていただいて、ありがたいですね。
―質問者
「お客様が、先生の食器と一緒に、本を贈られたらいいのになあ」と思いますよ。みなさんがいいように変わられるんじゃないでしょうか。それに、「これから結婚される方に、この本を贈られたらいい」と思います。
芙蓉先生の結婚されてからのいろんな道中が紹介されていますから、結婚早々から、いい意識を持って生きていけるように、あるいはこれからお母さんになられる方に、出産手前から読んでもらって、「ああ、子供ができたらこんな気持ちで育てていきたいなあ。本当に子供のことを思って育てないといけないなあ」ということが理解していただいたら、きっといいお子さんに育っていかれると思いますよ。
―春名芙蓉
これからの方が大切ですよね。失敗のない人生を送っていただけるようにね。
よく、「ああ、遅かった。終わってしまったけれど、もっと早く聞いておけばよかった」と言う方が多いです。でも、そういう方も気づかれたらいいんです。間違った子育てをしたとか、子供を怒ってばかりしていたと、気づかれたらいいんですよ。気づくこともなく、愚痴ばかり言って、あの世に帰っていったら大変ですよ。そんなマイナスの意識が残ってしまいますから。
子供さんと断絶している親御さんがおられますよね。そんな方は「自分が原因だった」と思わずに、「子供がこうだったから」と、相手のせいにしておられますよね。でも、「自分が悪かったんだなあ」と気づいたら、必ず子供さんにもその気持ちが伝わるんです。そうすると、お互いの心のしこりが溶けていくんですよ。和解できるんですよ。
だから、厳しいお姑さんが本を読んで泣いて詫びられたお話でも、何十年も積み重なったしこりでしょう。それが、一瞬にして和解されたんですよ。お嫁さんもお姑さんも、どちらもがお詫びされたんですって。そのように変わるということは、大変なことですね。何十年悪いものがあっても、最後に和解することができたら、それだけで「終わり良ければ全て良し」になるでしょう。でも、わからずに全てが悪いままにあの世に帰ってしまったら、「あそこのお姑さんはああだった、こうだった」と伝えられるじゃないですか。代々、伝えられるじゃないですか。でも、そういう風に最後にいいほうに変わったら、「良かった、良かった」といいものが伝わっていきますでしょう。これは、大きな違いですよ。それを聞いても、私は本当にありがたいですねー。涙が出ました。
―質問者
そのように、着実に芙蓉先生の思いが広がっていっておられるというのは、素晴らしいことですね。
私も本を読ませていただきましたが、いろんな角度から、いろんなことを考えさせられる言葉が綴られていると思いました。その人その人の心の状態によっていろんな見え方がありますが、どんな方にも何かの参考になると思います。
―春名芙蓉
本を読んでいただくと、その方の常にある意識が癒されていく、人によって種類はいろいろあるでしょうが、その方の一番苦にしていること、一番苦しいことに触れて、癒されていくと思いますよ。
―質問者
どんな種類の悩みをもっていても、先生の本のどこかを読んでいると、その人の悩みが癒されるということなんですね。
今日は、いろんな角度から、貴重なお話をお伺いしまして、本当にありがとうございました。
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