No.42
落ち込んでしまったとき、どうしたら切り替えられるでしょう?
平成19年4月28日
みなさん、こんにちは。春名芙蓉です。
私の住む岡山の北部でも先日まで桜が満開で、本当に心を和ませてくれました。ここまでに美しいものを見せて、喜ばせてやろうと計らっていただく大自然の愛を感じると、ありがたくて、魂が踊るような気がします。次は、さつきや菖蒲、そして紫陽花が咲くでしょう。そんな季節の移り変わりを通じて、人間も自然から生かされていることを教えていただけて、ありがたいですね。
さて、この春名芙蓉のひとことをお読みになって、みなさんは、きっと以前と比べて自分の心の状態がよく見えるようになってきたのではないでしょうか。そして、気持ちが重たいときにも、自分が何を気にしているのか、何が原因でマイナスになっているのかをわかって、意識を切り替える努力をしておられるのではないでしょうか。
気持ちが重たいときには、必ずそこに、何かを気にして、「いやだなあ」と感じてしまうものがありますよね。「辛いこと、苦しいこと」があるというのではなくて、「辛い、苦しいと感じてしまうこと」があるんですね。
一つの現象を苦しいと感じるか、感じないかは、その人によって違います。
たとえば、子育てでも仕事でも、責任の伴う大きな仕事をしないといけないときがあるとします。それが初めての体験であれば、大きなプレシャーを感じて、苦しんでしまうでしょう。でも、今までにいろいろと苦労をし、多くの困難を乗り越えてきた人は、そんなに大変だとは思わないでしょう。
当たり前のことですが、その違いはいったいどこにあるのでしょう。
それは、その人の「エネルギーの分量」の違いなんですね。苦労してきた人には、それを正しく乗り越えてきた場合、エネルギーが蓄えられているんです。そして、そのエネルギーによって苦しさが消えるのです。
「正しく乗り越えてきた場合」というのは、愚痴や不満などのマイナス意識を持たずに、黙って耐えながら乗り越えた場合という意味です。もし、愚痴や不満を増やしてしまっていたなら、「正しく乗り越えた」とは言えません。そんな場合、また同じような場面に遭遇したら、同じように愚痴や不満をぶつけるでしょう。
「人生にはいろんな行がある」と言われます。そんな人生の「行」を通じて、何事にも動じない「精神力」というものが養われます。その精神の力というものがエネルギーなんですね。ただ、その人に蓄えられるエネルギーの分量は、「苦しみながら乗り越えるか」、「黙って耐えて乗り越えるか」、「喜びに変えて乗り越えるか」で全く違ってきます。
「若い頃は、買ってでも苦労しなさい」と言われるのも、若く体力のある間に、苦労を乗り越えることで、精神的なエネルギーが積み上がるからなんです。
ですから、もし何かに当たって苦しく感じる人は、苦しさが消えるほどのエネルギーがまだ備わっていないということになります。
それでは、苦しく感じたり、マイナスになってしまったり、気持ちが落ち込んでしまったとき、どう切り替えたらいいでしょう。
一つ目は、苦しいことを忘れる何かに心を没頭させることです。
私は、子育ての間はとにかく忙しくて、何か気になることがあっても、自分の居場所を変え、炊事や洗濯をしているうちにそれが消えていました。時間のゆとりのある人は、どうしても一つのことを考えて、なかなか意識を切り替えにくいでしょうが、忙しすぎたことで、そのことを苦しいと感じ続ける暇もなかったといえるでしょう。忙しいことが、どれほどありがたいことであったか、今ならよくわかります。
二つ目は、苦しく感じることを、「ありがたいことだ」と思い方を替えることです。
子育てや仕事の場合、心の負担が大きすぎて、苦しく思ってしまいがちです。でも、思い方を変えると、非常にやりがいのあることであったり、楽しいことであったりします。「これをすることは、本当はありがたいことなんだ」と心を切り替えて、マイナスをプラスに切り替えるようにしてみてください。
三つ目は、今満たされていることを喜ぶことによって、苦しいという意識を消すことです。
人間は9つ嬉しいことがあっても、1つを苦しく感じることによって、全てが悪いと思い、自分を不幸のどん底に落とし込んでしまうものです。でも、すでにどれほど多くのものが満たされているかを知って喜んだとき、その喜ぶエネルギーで、苦しく感じる意識が消されていきます。たとえ経済的に苦しいという場合があっても、家族の元気なことを喜ぶ、また職を失ったことを想像し、わずかでも収入があることを喜ぶことによって、その苦しさを消すことができます。
四つ目は、黙って、耐えることです。
精神的にも肉体的にも大変なときに、黙って耐えることは難しいかもしれませんが、愚痴になって意識を下げてしまっては余計なマイナスを引き込んでしまいます。私は若い頃から、どうしてもそこから逃げることのできない困難に出くわしたときは、決して苦しそうな顔を見せず、誰にも愚痴を言わず、黙って耐えてきました。それが、私の人生で、一番多かったかもしれません。
五つ目は、悟って、超越することです。
今は、黙って耐えるというよりも、どんなことにも達観して、「私自身にエネルギーを蓄えさせていただくために与えられた道具だ」と思えるようになりました。ですから、たとえ苦しく感じることがあっても、「もっと悪くならないだろうか」という不安は全くありません。人間は、この地上で生きているかぎり成長させていただくべきだし、また成長させようとする自然の意思があるのですから、私は、「このことを苦しく感じないほどのエネルギーを蓄えてゆこう」と思い、達観して歩んでいます。
いかがでしょうか?
みなさんの心にエネルギーが増えてきたら、苦しさは消えます。逆にいえば、人生に困難があるからこそ、それを乗り越える過程で、エネルギーを蓄えさせていただける仕組みがあります。
人間感覚で人生を見るのではなく、魂感覚で見つめると、「苦しさを乗り越える中に、精神の成長がある」ということに気づいてゆくでしょう。そして、「なぜこの世に生まれてきたのか」の本当に意味を理解するようになるでしょう。
私たちは、人生というステージの上で舞いながら、エネルギーをふくらませていくことを、自然から期待されていると思うのですが、いかがでしょう。