No.38
日常生活を大切に
平成19年1月3日
みなさん、明けましておめでとうございます。春名芙蓉です。
年があらたまり、みなさんも新鮮な気持ちでお過ごしになっておられると思いますが、今年も、いっぱいのエネルギーを、心の中に積み重ねてゆきませんか。
私が、「意識を高めて、いい人生を送りましょう」ということを、みなさんにお話しするようになり、「地球の子守詩」という本も出版させていただいて、共感していただく方が非常に多くなって、本当に喜んでおります。
みなさんの中には、今日まで「自分の心を高めたい」と願って、本を読んだり、講演会に参加したりして、いろんな形で学んでこられた方もおられるでしょう。そして、何か大きな教えにふれた時や、何かに目覚めた時に心が躍動したこともあるでしょう。でも、そのような感動をしたことで、「自分の心が高まった」と錯覚してはいけないと思います。また、普通の人が見えない、感じないものが霊的に見えるという人もいますが、それで自分が高まっていると思うのも錯覚なんです。
「目覚め」とか、「悟り」とかいわれるものは、完成ではなく、出発点だと思います。「気づいた」ところを出発点にして、「毎日をどう生きていくか」が大切なことです。知識として学ぶことにのみ専念していても、そこに成長はありません。
本当に大事なのは、「日常生活」です。いくら知識があっても、毎日の暮らしの中で、明るくさわやかに、人に優しさをもって接することができなければ意味がありません。知識として学ぶことだけに満足しないで、それを出発点として「日常生活」で学び、知識として吸収したものを、「日常生活」で生かしていってくださいね。
でも、「毎日の生活で学ぶ」ということは、理屈でわかっても、なかなか、何を学んだらいいのか、具体的にはわかりにくいものでしょう。
前回の「ひとこと」では、「平常心」ということを申し上げましたが、「日常生活で学ぶ」というのは、「どんなことがあっても心を動かさず、平常心を持ち続けることにある」ということなのです。「毎日、常に穏やかで、喜びを持ち続ける」ということです。言葉を変えると、「毎日を淡々と生きる」ということです。「なーんだ、そんなことか」と思わないでくださいね。「淡々と生きる」ということは、簡単なようで簡単なことではないのですから。
私たちは、人と人との間で生きています。社会的な役割もさまざまあります。その中に、穏やかな心では乗り越えられないことが、いっぱい起こってきます。足元の水溜りのような簡単に飛び越えることができるものもありますが、目の前に立ちふさがる山のような大きさの困難もあります。
人間は誰でも、何かにぶつかったとき、悔しい、腹立たしい、辛い、情けないと心が揺れ動き、意識が下がりそうになりますね。そんなとき、どういう気持ちに切り替えて乗り越えていくか。マイナスになりそうな意識を、どうプラスに切り替えて、自分も幸せになり、周囲の人たちをも幸せしてあげながら進んでゆくか。その中に、「学び」があります。何か嫌なこと、苦しいことにぶつかって、愚痴になったり、人を恨んだりして、心を動かしながら乗り越えたのでは、本当に乗り越えたとはいえません。仮に、自分が全く悪くなくて、人のせいで嫌な思いをしなければいけなくなったとします。そんな場合でも、決してその人を恨まないで愛の気持ちをもって乗り越えられたら、みなさんの成長は大きなものになりますよ。
それでは、特別何も苦しいことがないときは、「学び」の道具はないのでしょうか。いえ、そうではありません。何もないときこそ、喜びと感謝を深めるチャンスです。「あのときのことを思えば、今がどれほどありがたいか」と、喜びをかみ締めながら歩んでゆく、それがまた大きな学びだと思います。
そう思えば、みなさんの周囲に、学ぶための道具はいっぱい詰まっていますでしょう。何か特別のことをしたり、修行のようなことをしたりしなくても、日常生活の中で、いくらでも自分を高めることができます。
今年は、毎日の暮らしというものをもっと大事にして、歩んでゆきませんか。