No.26
忙しく通りすぎないで、その時その時を噛み締めて感謝しませんか
平成17年8月30日
みなさん、こんにちは。春名芙蓉です。
私はいろんな方々を見ていると、楽しいこと、嬉しいことはあまりなくて、もう無我夢中で毎日生きておられるような気がします。でも、せっかく人間として命を与えられて、この世で一生を送るわけですから、その一こま一こまをもっと大切にされたらいいのになあ、と思うんです。
私は若い頃をずっと振り返ってみて、特別何をしたということはないけれど、いろんな体験、経験をさせてもらえて、「ありがたい人生だったなあ」と思えます。もちろん、苦しい行の時代もありましたけれど、そこを通りすぎて、自由な身になって、解放された喜びは非常に大きかったですね。拘束していただいたおかげで、味わえた喜びでした。一つの行を乗り越えて、解放されたときに感じた喜びは、今でも心から消えないんですね。さまざまな事情で、自分の自由にならず、周囲から締め付けられた(あるいは、自分で自分を締め付けていたのかもしれませんが)時には、あまり楽しいという意識は残っていません。ただ、縛られているからといって、苦しんだり、嫌な思いを膨らませたりはしなかったですが、そういった行を乗り越えて、解放されたときの嬉しい気持ちは今も強く心に残っています。「解放された喜びが、莫大なエネルギーを生みだしたんだな」と、今の歳になってしみじみ感じます。
私の場合、年子のように3人の子供ができて、赤ちゃんを育てているときは一生懸命でした。「どうか、子供たちが無事で、病気や怪我のないように守っていただきたい」と願い、だからこそ、自分の心を正しく見つめ、「自然から見られて恥ずかしくない自分であるように」と思いながら育てていました。でもね、この年になってみて初めてわかることなんですが、あの頃、もっとゆとりをもって、「あー、かわいいなあ」と思いながら、ゆったりと子供をあやしてやれたらよかったなと思います。あの頃に、そんな心境ではなかったことが残念ですね。
だから、「みなさんも、いろんな行の最中でも、その時の一こま一こまをもっと大切にしていただきたいな」と願います。学生の方なら勉強、大人になれば仕事、子育てや家事など、さまざまな行がありますが、その時その時を、ただがんばるだけで通り過ごさないで、その時をもっとかみしめて、ありがたいと感謝できるようになられたら、もっとすばらしい人生になるのではないでしょうか。通り過ぎてしまってから「あの頃は良かったなあ」と振り返るのではなくて、その時に「今は一番幸せだなあ」という気持ちを積み上げていくんですね。
年を取ってから学生時代を振り返って、「あの頃は、勉強やクラブ活動など自由にいろんなことができて楽しかったなあ」と思うなら、その時にもっと感謝できていたらいいですね。定年退職してから、「バリバリと仕事をしていたときは良かったなあ」と思うなら、その時にもっと仕事ができる喜びを持てたらよかったですね。
自分の子供が結婚して親元を離れてから、我が子のかわいかった時代を振り返るなら、幼い子供を育てながら、「ああ、こんなかわいい子供を育てられるのは幸せだなあ」と思えたらよかったですね。
その時その時は、大変かもしれない。目の前の事に追われて、毎日を生きることが精一杯かもしれない。でもそのなかで、喜びを見出し、幸せを感じることができたら、どれほどその人の人生に大きなものが積み重ねられてゆくでしょうか。
私は今、毎日を楽しんでいます。懐かしい思い出にしないで、只今をかみしめて生きているんです。例えば、毎朝ウォーカーを使って一時間ほど歩いているんですが、一歩一歩足を踏みしめながら、「元気に歩ける」という喜びをかみしめています。そして、体を鍛えるためだけの時間にしないで、窓から見える景色を眺めながらも、今心に焼き付けている景色の美しさに心を震わせ、幸せをかみしめています。今はできていても、いつかはできなくなるときがあるんですから。だから、今できるときを喜ぶんです。忙しく通りすぎた時代があったので、残りの年月はそんな気持ちで生きたいですね。
誰も、今を喜ぶということが少ないですね。次々と何かを追いかけている。あるいは、何かに追いかけられている。今のありがたさを、しみじみと心に染み込ませることは少ないでしょう。私は、今七十三歳になって、そんなことが思えるわけですが、皆さんも、年を取って初めて気付くのではなくて、若い間にそれを知って生きていただくと、すごく価値があると思うんです。