No.24
「苦しいことにぶつかるたびに、自分の意識が高まり、自分の内面がどんどん変化して…」
平成17年7月14日
みなさん、こんにちは。春名芙蓉です。
7月に入って雨が続いていますが、窓から見える、霞にけむる山の景色が何ともいえず穏やかで、私の心も本当に穏やかでおれることがどれほどありがたいことかと、今の幸せをかみ締めております。
今日までの人生を振り返ると、「よくもここまで自然に支えられて生きてこられたものだ」と、感謝せずにはおれません。私の今日までの心の土台には「感謝」というものがいつもありました。体が弱かったせいもありますが、「今、生きている」ということを、しみじみと喜びながらの人生でした。
若い頃、主人と共に呉服店を営んでいる頃、毎朝、店のシャッターを上げながら、「今日も店を開けられる。ああ、ありがたいなあ」と、喜びがわいてきておりました。床や廊下の拭き掃除をしながら、「家族みんなが元気でおれる」ということを思い、涙が出てくることもしばしばでした。
いろんな不幸な方々のことを耳にするたび、「どれほど、お辛いだろうか」と、自分のことのように思え、胸をかきむしられるようなこともありましたが、そんな辛いことのない自分の境遇が、またありがたく思えました。
そんな私でしたから、毎日毎日、感謝することはいっぱいありました。見るもの、聞くものを通じて、いつも感謝の心がわいてきました。そこから、ただ「ありがたいなあ」と思うだけではなくて、幸せを与えてくれる目に見えない大きな力を感じるようにもなりました。それを感じるようになると、また喜びが膨らみました。「私を支えてくれる自然の愛があるんだ」、「こんな自分のような者を見守ってくださっているのか」と感動せずにはおれませんでした。
もちろん、辛いことがなかったというわけではありません。誰もが体験するように、人間として、妻として、嫁として、自分に当たってくる問題もありました。でも、事故で手足を失うとか、家族を亡くしてしまうという、取り返しのつかないことではなくて、自分の心の中で消化すればよいことでした。
苦しいことがあってそれを苦しむというより、そのために自分の心から喜ぶ気持ちが消えてしまうことのほうが、辛いことでした。「ここまで大きな自然の愛に見守っていただいているのに、こんなことでくよくよしていては申し訳ない」と思いました。「気にならない自分になりたい」、「どんなことも超越できる自分になりたい」、そう思って、気になる自分を反省し、気になることを消すようにしました。「これは、自然が自分を育てようとしてくれているんだ」と、はっとすると、気になる気持ちが消えていることがしばしばありました。「ああ、苦しい気持ちが消えている、ありがたいことだ」と、また感謝の心を深めました。
そうしているうちに、何か苦しいことにぶつかるたびに、自分の意識が高まり、自分の内面がどんどん変化していくことに、気づくようになりました。そして、自分の心が大きく成長させていただけることへの喜びが膨らんできました。その喜びは、形のあるものを喜ぶよりも、はるかに大きな喜びになってきたのです。
今では、「苦しいことが与えられるのは、自分を成長させようとしてくださる自然の愛だ」という確信があります。自然は、私達をどのように成長させようとしてくださっているのでしょうか。それは、「全てのことを感謝できる心のエネルギーを積みかさねることによって、私達の意識の次元を上げていただくということだ」と思うのです。